Casa TOVI
  • ようこそ
  • 家について
  • 設備の使い方
  • ハウスルール
  • アート
  • 写真
  • 宝探しゲーム
  • 観光とグルメ
  • 子ども向け
  • お問い合わせ
ESENDEITFRPT日本語RU中文
Casa TOVI
  • ようこそ
  • 家について
  • 設備の使い方
  • ハウスルール
  • アート
  • 写真
  • 宝探しゲーム
  • 観光とグルメ
  • 子ども向け
  • お問い合わせ
ESENDEITFRPT日本語RU中文

この詩はまだ隠されています

Casa TOVIの秘密のギフトの一部です。宝探しゲームを完了すると解除されます。

宝探しゲームへ
ギフトホーム献辞地上にて · I地上にて · II地上にて · III地上にて · IV天国にて · I天国にて · II天国にて · III天国にて · IV天国にて · V天国にて · VI

3つ目のギフト

ムルシアから天国へ

ホセ・ソリーリャ · 1888年

1888年に発表されたホセ・ソリーリャによるこの詩は、多くの理由で重要な作品です。しかし、ここでの目的——ムルシアという街をより深く知ること——という観点から、Casa TOVIではこの詩を、ムルシアに関する貴重な歴史的・文化的資料として取り上げています。

この詩は単なる詩句の集まりではありません。19世紀末のムルシアを描いた肖像であり、当時のムルシア社会と詩人との関係を記録したものでもあります。

その風景や人々、伝統を理想化されたロマンチックな視点で描き、この地域の友人やもてなしてくれた人々に対するソリーリャの深い感謝の気持ちを反映しています。

ここには発表された当時のまま、全文を掲載しています。一気に読んでも、上のメニューを使ってパートごとに読み進めても構いません。この詩は急いでいません——1888年からずっと、あなたを待っていたのですから。

献辞

ビリャルバ・デ・ロス・リャノス侯爵、ロチェ伯爵、ドン・リカルド・サンチェス・マドリガル、ドン・アントニオ・デ・サンドバル各位へ。

親愛なる友人たちへ。私が捧げるこの小さな書物を手にされたとき、皆様はもしかすると、これはパンと魚の聖なる譬え話を冒涜的にもじったものだとお思いになるかもしれません。わずかな詩句でかくも多くの方々を満たそうとしているのですから。しかし、この伝説、物語、詩、あるいは何と呼んでいただいても構いませんが、これがすでに七十一の冬を数えた一詩人の作であることをどうかお心に留めておいてください。これは、消えゆく前にパチパチと爆ぜる、彼の才知という小さな灯火の最後の揺らめきの一つであり、やがて土に還ろうとする彼の肉体の最後のため息の一つであり、やがて神のもとへ還ろうとする彼の魂の最後の願いの一つなのです。

この献辞には、皆様のお名前とともに、私の良き親族であるレベンガ家の方々や、陽気な宿主ニコラス・アセロの名も連ねるべきでした。しかし、母の血を分けた彼らは、その血ゆえに私が彼らの名を記憶に刻み、その情愛を心に染み込ませていることをすでに知っているのですから、あらためて友情の公の証を立てる必要はありません。また、家庭の炉辺と家族の親密さの中でのみ温もりを受ける情愛を公然と誇示したところで、世間の関心を引くこともないでしょう。ニコラス・アセロについては、『わが最後の闘い』の中の、バリャドリードのある一隅に彼の場所をとってあります。それは私が生まれた家の一隅であり、今日その家の持ち主は彼なのです。

もしそちらでニコラスに出会うことがあれば、そう伝えてください。彼はきっとその辺りにいるはずです。そしてムルシアに住むレベンガ家の方々にも、同じ言葉を繰り返してください。

この小さな書物を、雨のためにお互いの顔をほとんど見ることもできなかったオリウエラへ、そして時間の逼迫、煩わしい用件、そしてこの歳には避けがたい病のために、顔を見せに行くことができなかったムラへも送ってください。

私の詩の詠唱をかくも寛大にお聞きくださった司教猊下に、私からの敬意をお伝えください。招待と贈り物をもって私に栄誉を与えてくださった市当局と諸学院にも。そして、感謝の務めを果たさんとして、皆様と彼女たちに捧げるこの詩句を、街と菜園地帯のムルシアの女性たちにも読んでいただいてください。皆様を愛する老詩人より、

ホセ・ソリーリャ

マドリード、一八八八年五月二十日

地上にて

I

白い石造りの聖堂よ、 人々の信心はこれを 貴き聖遺物匣となし、 年ごとの巡礼という 一年に一度の祭りを授けた。

橙花の香り立ちのぼる 緑なす山の稜線に、 ムルシアの町を足もとに置き、 糸杉に巣くう鳩のように 白く輝いて見える。

あの山はムーア人の時代より 信仰と緑あふれる 一つの宝であり、 聖堂は黄金に満ち、 山もまた黄金の山となる。

この山は詩的な伝承の 秘められた蔵である。 二つの民族、二つの宗教が 血に染まった手をもって その麓に数多く蒔いていった伝承の。

七世紀にわたる戦いが その二つの民の松明の火を 燃え上がらせるのに費やされ、 今日その山の上できらめく灯台には 神の十字架が輝いている。

イスラームの民は 海の彼方へと逃れ去り、 今やムルシアにはキリストの十字架のみが 独り野に立つ。 そしてそこでは今日もムルシアの信仰が スペインの巡礼を行っている。

太陽のかの土地に生まれた 独特なる巡礼、 信仰と歓びの巡礼—— スペインの大地だけが育てる そんな民の巡礼である。

テトゥアンとチュニジアの徒より 奪い返されたスペインの、 典型にして生粋なる民は、 今なお神聖な儀式に 攻めかかる喊声のなごりを混ぜている。

情熱に燃える菜園の民は、 ムーア風の衣装と習わしを残しながらも、 キリスト教の祭儀に 花火と踊りと闘牛という イスラーム風の締めくくりを添える。

敗者の家に居を定めた 勝者は、今なおその足跡の上に生き、 自らの再征服によって 勝ち取ったものに なお固く結びついている。

カトリックとして生き、 カトリックの葬儀のもとに死ぬ。 だが種を蒔き、水を引き、口にするものは ムーア人のごとくであり、 その習わしと農具と用水路を好んで受け継ぐ。

それを恥じることもなく、 進歩の道に滞ることもない。 勝ち取ったものにしかと執着しながら、 おのが家と沃野の気質を 傷つけることなく守り続ける。

花々のあいだで育ちながらも 質朴で健やかで強い民は、 生きるあいだは楽しみ、 恐れることなく死を待ち、 死にゆくときは神に身をゆだねる。

かくも勇壮な気性を持つ 土地と民であるゆえに、 そこでは男たちは火花のごとく、 女たちは星のごとくに 輝いているのだ。

かくも心地よい晩年のひとときを 私が負うているのはあの民である。 そこでは私はまだ若者であるとさえ思われ、 今なお私の耳には 彼らの拍手とセレナーデが響いている。

彼らの極まりない友情と 極まりない優しさのうちに、 私にとって一冊のよき書物のよき題材があるだろう。 だがもはや私には、 そのような感謝の詩を織り上げることはできまい。

かくも巡礼にふさわしいこの国を 急ぎ足で旅した私の道のりから、 白髪となった私の才知が ムルシアの民に贈りうるのは、 このささやかな追憶のほかにはもうない。

II

さあ、あの山へ、 そして異教徒の手にあって 今日の豪奢な聖堂がまだ その頂に白く輝いてはいなかった あの伝承の時代へと立ち返ろう。

より写実的で、よりキリスト教的な 別の日、別の詩のために、 山へと巡礼していく ムルシアの陽気な祭りは 残しておくことにしよう。

そして心と目を 物語と夢と気まぐれの はるか遠い昔へと向け直そう。 それは今どきの哲学かぶれには 退屈と苛立ちしか与えぬ時代だが。

ここで私に言わせてほしい、 たとえ私にその資格がなくとも、 これから語ろうとすることを、 語りながら脱線していく 不合理な詩人として。

すなわち——今日の暗い未来にも 心を乱されることなく、 法にもろくにかしこまらず、 怠け、歌い、いがみ合うことこそ 人生の目的であるようなスペインよ、

その信仰と詩を どぶへ投げ捨てることもあろう。 だが、そのような民に説かれる あなた方の哲学を、 私に笑わせてほしい。

ここ、われらが良きスペインでは、 昼寝を眠り、 カーニャの歌をうたい、 労働は疎まれ、 人生とは登り棒遊びのようなもの——

瞑想し、 思案し、哲学しているように見える者も、 実は夢を見、うつつを抜かし、うたた寝しているだけ。 ここはあのギリシアの スタゲイラの哲人の国とは種類が違うのだ。

この真昼の太陽の下では 哲学もろくにできぬもの。 今日のスペインが持つ賢者の石とは、 ギター工房の中にこそ あるのだから。

さて、これもまた より良い機会と場にふさわしく 残しておくとして、 私の途切れた物語の 筋と本文へと立ち返ろう。

さあ、それでは、あの山へ行き、 ついに見つけられるかどうか確かめよう—— かの山、そしてムルシアという庭に 異教徒のムーア人が 遺していった伝承を。

III

序曲、序章、 あるいはアラブの伝承への 序幕の場面として、 ここでいささか歴史を 語る必要が生じる。

..............................

ダマスカス由来のコルドバ・カリフ国が その栄光もろとも 不幸な運命へと 傾いていくのを 横目に見たときから、おそらく数刻の後——

ムルシアは、アルメリアの方から 押し寄せてくる ムーア人の群れが 水や草のように 群がり増えていくのを見た。

あのアラブの奔流について、 われらはその日付も経緯も 正確には知りえなかった。 詩と伝承のみが そのおぼろげな記憶を留めている。

だがムルシアは常に 神に篤く見守られた土地であり、 その内に宿す善の種は、 平和のときも戦のときも 常にみずからの善を追い求めさせた。

幸運なる太守、 アブー・バクル・アル=カイシーのことが語られる。 彼こそは、かの地の伝説に名高い おそらくは伝説上の人物である アアルム・アル=ラシルなのかもしれぬ——

この太守は疑いなく、 よき星のもとに生まれたに違いない。 かくも過酷な大変動が ただ彼一人を助けにきて、 ただ彼一人がそれによって得をしたのだから。

コルドバのウマイヤ朝は より荒々しい別の民族の 腕の中に崩れ落ち、 その残骸を奪い合おうと アンダルシア全土が押し寄せた。

アブー・アル=カイシーは 抜け目ない手腕と、粘り強い意志、 そして時宜を得た大胆さでもって、 おのが軍勢の先頭に立ち、 運命を己につなぎとめる術を知っていた。

彼はまことに巧みに立ち回り、 アンダルシア全土から 諸侯国も部族も軍勢も民族も、 おのが宮廷と町へ、 おのが俸給のもとへと引き寄せた。

グラナダのムーア王は、 その太守領をとるに足らぬものと 見下して彼の手に委ね、 彼が治める間、ムルシアに キリスト教徒が攻め込むことはなかった。

抜け目ない外交手腕と 執拗な忍耐強さでもって、 彼はその肥沃な領土を 平和がもたらす富の 小さな交易の都へと築き上げていった。

やがて、平和のうちに暮らすことを 切に望むすべての善良な農夫たちと アラブの商人たちが、 太守のもとへ土地を求めて 馳せ参じるようになった。

怠け者も、日和見な者も、 反抗的な者たちも おのが国境の旗のもとに徴募し、 その騒がしい徒党を 利用しては、うまく始末していった。

ムルシアには誠実で聡明な、 役に立ち勤勉で善良な人々が住みつき、 静穏な平和の曙が 新たな東の空に 昇り始めた。

平和という聖なる砦のもと、 至るところに水車小屋が、農業が、 商業が、学校が現れ…… 交易と諸芸に ゆとりが生まれた。

城塞のふもとには モスクが建てられ、 怠りなき労働が 神に祝された平和とともに ムルシアに富をもたらした。

グアレンティン川とセグラ川から 水を分け、あるいは堰を築いて、 アル=カイシーは平野に その清らかな水の奔流を 菜園や牧草地や放牧地に注ぎ渡した。

今でこそ丸裸で 木々もまばらなこれらの山々も、 かつては枝葉茂る森であり、 その茂みは狩りの獲物や家畜に 宿と草を与えていた。

そしてこの太守、善の化身にして ムルシアの庇護者、支え手は、 ついにムルシアを まず一つの庭園へと変え、 最後には一つのエデンへと変えおおせた。

そしてあの山——この紙の上で われらが追い求めているのは、 アラブ人がそこに遺していった あの東方の 伝承の物語なのだが——

その山はかつて、 木々と草花の花束であり、 妖精の部屋に焚かれる 香のように、 そよ風のなかに幾百万の香りを漂わせていた。

今日もなお、そよ風はその香りを吸い込み、 ムルシアの上へと運び、 その菜園にまき散らす。 風がムルシアの上を巡り、 そこにその香りをこぼしていくときに。

あの山には、かつても今も、 ひとすじの裂け目、ひとすじの もっとも肥沃な地脈があり、 それはこの世のいかなる 偶然にも左右されることがない——

それは広々とした谷あいであり、 失われたエデンの写しであり、 風から守られ、 霜からも守られた、 コウライウグイスの巣なのだ。

そこでは同じ時に 幾千となく、さまざまな花や 異なる果実がおのずと実る。 もっとも柔らかなゼラニウムのそばに もっとも毛深いビワの実が並んで。

その花粉と種子を そこへ運ぶのは、 くちばしに乗せたさすらいの小鳥たちであり、 小さな羽に乗せた虫たちであり、 その扇のような翼に乗せた風である。

そして、ムルシアの門であり、 その菜園を絨毯とし、 山がその葉陰の天幕の 影を与えているあの肥沃な谷は、

薔薇の小籠であり、 生気を蘇らせる 生命の靄の源であり、 蝶たちの灯台であり、 夜鳴き鶯たちの巣であった。

そこには悪も嘆きも 決して入り込むことがなく、 逆境の何ものも訪れず、 疫病の毒気も 地震の轟きも届かなかった。

アブー・バクル・アル=カイシーが その至高の太守であったころ、 ムルシアのエデンとはそのようなものであった。 そして、私がアラビア語で読んだことを、 ここにカスティーリャ語で記そう。

IV

あるイスラームの語り部は語る、 ムルシアはジャスミンの香り漂う 一輪のチューリップであり、 菜園を庭園に変えた太守に 神が贈られたものだと。

その菜園は果樹園であり、 潤いに満ちた大地に ナツメヤシからカーネーションまでを実らせ、 蜜よりも甘く 香り高い果実を実らせる。

ムルシアは香油の小瓶であり、 今日の科学が 森や谷や丘を巡りながら探し求める あらゆる開花の 幾千の香りを内に秘めている。

もっとも豊かな地方の もっとも豊かな実りと もっとも滋養に富む成分をもつ 草花と植物、 豆類と穀物とを宿している。

すべてが生まれいずる大地—— それを耕すのが枢密院であれ諸侯国であれ—— そこでは、シトロンからアーモンドまで、 イチジクからナツメまで、 すべてが糖を含み、澄み渡っていく。

ピンドス山の聖なる月桂樹から 中国のオレンジの木まで、 トロ産のさくらんぼから エジプトとパレスチナの 酸っぱいタマリンドまで。

甘松と白百合から 芳香のアカシアまで、 素朴なバーベナと つつましいミントから、 アレッポのシナモンの木まで。

触れれば身をすくめる オジギソウやミモザから 銀色に光るポプラまで、 つややかなイナゴマメの木から くすんだ色の永久花まで。

血の色に染まった実をつける ベルガモの桑の木から、 コリントのマスカット、 ダマスカスの桃、 そしてシリアのテレビンの木まで。

太陽に愛でられ、 黄金の光に浴し、 アッラーとエホバの双方に祝された ムルシアとは、 十字架を戴くアラブのモスクなのだ。

ムルシアは花咲く四阿であり、 物音も立てずにエデンを逃れ出た 一人のフーリーの隠れ処であり、 天のひばりが舞い降りて 巣を築いた場所である。

.............................

あるムーア人はムルシアについて この伝承を語りながら そう述べている。私はそれを 翻訳したのだが、 その真実性も翻訳の正しさも保証はしない。

天国にて

I

ムーア人の語り部の伝説を、キリスト教徒の詩人が語る

ある日、諸世界の運行を 見そなわし、その創造が おのが律法に従っているかを確かめようと、 混沌よりその胚種を引き出し給うた至高の神は、 楽園の黄金の門まで降り立たれた。

エデンの館より柱廊の間まで至られると、 そこを守る天使は御旗を開き、 神は静かなる天空の彼方より 宇宙の運行をつぶさに検め給うた。

人々が虚空、大空と呼ぶもの、 われらにとって空である蒼い大気、 その無限の空間、幾百万の世界を 生かす活力の元素が、御足のもとに広がった。

生成の途上にある世界たる星雲、 いつか長い進化の果てに太陽となるもの、 月のように冷たく青ざめた星々、 古き太陽たちの火花であり衛星であるもの。

果てしなき尾を引く迅き彗星、 その姿を見る諸世界の驚異、 それらに活力と推進と牽引と光を与えるのは ただ神の均衡の法則のみである。

なおも闇に包まれ、 人智の学がようやく垣間見はじめたその神秘のすべて、 いつの日か必ずやわれらが 神なる本性によって探り、理解すべきそのすべて。

動き、凝り固まり、また崩れ去るすべて、 巡りながら光を放ち、きらめくすべて、 去っては戻り、死してはまた生まれるすべて、 陰り、また輝き、自由にあるいは定まってあるすべて。

世界であれ原子であれ、繋がれ、あるいは放たれ、 中心なる力によって放たれ、あるいは引き寄せられるすべて、 何ものかによって生き、進み、その生命の展開を 生み、あるいは弱める何ものかに包まれて巡るすべて。

地上から一つに見渡されるそのすべて、 星々の領域を織りなすそのすべて、 宇宙が内に秘める曇りしものと見えるもの、 その総体こそが創造そのものを成すもの——

それらは、見んと欲し給うた神の御前に現れた。 神は一瞥にてすべてが正しく動いていることを見て取り、 やがてエデンが連ねた世界という首飾りの中で 真珠のごとくめぐる地球に目をとどめられた。

その真珠は、陰なる半球では黒く、 陽の当たる半球では太陽を映して白く、 そして絨毯の切れ端のような一つの緑の点を持ち、 それがスペインという領域の一角を覆っていた。

折しも一月の終わりであった。 地球は雪と暴風の 全般的な嵐に耐えており、 地震の猛威とその間で、うまく治まらずにいた。

そのころも今日のように、地球本来の色を覆い隠す 霧と旋風の大気がそれを取り巻いていた。 そして、あのエメラルドの輝きを放つ緑の切れ端、 希望の象徴たる、春の緑は——

雪のただ中にあって、主にはあるいは スペインの生粋の者らの気まぐれの一つに見えたのかもしれぬ。 そして地球がその軌道の道を 辿り続けるのを、創造主は静かに見つめ、心を奪われていた。

黙して立ち、黄金の柱廊の 象牙の階段を守っていた天使は、 従順にその御意志を待ち続け、 神とともに世界の幾千の驚異を見つめていた。

その階段、象牙の階を成す壇より、 王座を飾る絨毯さながらに、 砕かれた銀の上を、豪奢にも 草木の茂る驚異の空中庭園が広がり始めていた。

その白い床の上ではすべてが生きていた。 木々も、草花も、花も、泉も。 そして地上の人々が楽園の樹と呼んだその木は、 その場を天上の香りで満たしていた。

すべてが調和のうちに、あるべき場所に定まり、 その空中庭園は完全なる調和の総体であった。 それは神が宇宙の生命を育む種子を 蔵しめんと望まれた神秘の苗床であった。

木々も花々も、草も芝生も…… すべてが香りと輝きを放ち、発していた。 無数の鳥、シルフ、飛び交う虫たち、 光を帯びた蝶たちと歌う小鳥たちが、 木々と花々に風を送り、揺らしていた。

そして、われらの曇った知性には計り知れぬ かの内なるエデンの縮図たる、この外なるエデン—— エデンの館の生ける玄関を 見守っていたのは、天の御門の前で 神のために御旗を掲げたあの美しき天上の生き物であった。

その天使は比類なき 生き物の典型であり、 美の奇蹟、 彫像の手本であった。 人間の姿をまといながらも その輪郭は 至高なる天上の美を 際立たせる存在であった。

その背には、泡のごとく軽やかに 繊細な織りをなす 白羽の二枚の翼が畳まれ、 雪のマントのごとく垂れ落ちて、 その姿に もっとも優雅な白鳥の 気品と白さを添えていた。

その頭には、朝の光が 空を染めるがごとき 光輪が冠となって巡らされ、 その身体と息吹からは エデンの琥珀の香りをも超える 芳香が漂い立ち上っていた。

..........................

創造主と天使は、その神なる本性ゆえに 言葉も、語り合う声も必要とせず、 その霊なる知性のわざによって、 互いの思いの迅速な伝達を成し遂げた。

...........................

――地球が見えるか? ――見えます。 ――あのかくも厳しい冬のさなかにある スペインの、あの緑の点は何か? ――分かりません。 霧の中に私の視線は消えてしまいます、 主よ。しかしお命じになれば、確かめに参りましょう。 ――行け!――神はそう思し召された。そして天使は、神の「行け」の 力と命令とを、神が身振りも言葉も用いずに 発せられたその意を感じ取り、息を整え、 虚空へと身を投げて、その翼を広げた。

人間がその速さと力を 手なずけることを知った雷光と電信も、 飛び行く天使の速さを測るには 無用の、虚しい計算の物差しにすぎない。

...............................

数多の惑星系の世界たちは、 あるものは胎生のままにいまだ乏しい進化のうちにあり、 あるものは光と生きた力にあふれ、 すでにその活発な生命の凝縮の 盛りの時にあり、 あるものは老いさらばえて 冷え、力尽き、 衰えゆく働きのままに 虚空に漂っていた。 月も、太陽も、名も知れぬ惑星の 太陽たちも、 われらの蒼い領域の 星々や彗星たちも、 一瞬その姿を見た―― 光と香りの航跡を 飛び行く道に残しながら、 旋風のごとく過ぎ去る姿を。

神はその動く姿が 白く輝きながら進むのを見た。 初めは無垢な さすらう鳩のように、 次には重さを持たぬ 白い蝶のように、 次には庭の芝の若芽の間で 騒がしく戯れる 小さな蛍のように―― われらの大気圏に入り、 地球へと近づき、 スペインの果てのあの緑の点に触れ、 そして水のしみが 蒸発して消え去るように、 その緑の点の上で ついに姿を消していくのを。

........................

神は、おのが完全なる創造が 正しき一体性のもとに、 なおも滞りなく働いているのを見て、 黄金の柱廊の 象牙の階段を上り、 静かにエデンへと 戻り入られた。

すべては神の息吹とともに 幸いなるエデンに立ち返り、 安らぎのうちへと入り、 神はおのれ自身のうちへと入られた。

そこでは時は 数えられも測られもしない。 だがここでその生を語るには、 その期間や段階というものが必要となる―― われらの粗野な言葉の言い回しを、 かの地で語られる言葉に 近づけるために。

...........................

影が 日を暗くし始めても、 天使はまだ戻らなかった…… 神は仰せられた――「あの者は何をしているのか?」

II

世界はまもなく、夜の霧の 褐色の帳のもとへと入ろうとしていた。 無限の虚空を生きて満たすものが、 影のあいだにまもなく憩おうとしていたそのとき。

なおも無限の空間の幾千の世界に 薄金色の残照を投げかけていた黄昏の光も、 その玉虫色の輝きのうちに、蛋白石と黄玉が すでに紫がかった色に染まりはじめていた。

旋風の吹き荒れ、 残酷な冬の洪水と雪に苦しめられた地球は、 鉛色に曇った雲塊のあいだをめぐりながら、 あの緑の点の明るみだけを示していた。

その点から湧き出でて(それが平野であれ、谷であれ、丘であれ)、 束の間光る燐光の蛍のように、 刻一刻と大きくなりながら……初めは雪の鳩のように、 やがて鷲のように……飛び行くものが現れた。 それは彗星の勢いと軌道を借り、 星々のあいだを恐ろしい速さで進んでいく。 電気の火花のように あちらこちらに現れては、 身を隠し、また現れて、 その周りに 陶然とさせる香りに満ちた大気を 残していく。 そして淡い光をたたえた 震える航跡のうちに、 驚愕と驚異とを後に残しながら……それは コンドルの翼をはためかせ、神のもとへ帰る天使であった。

神の御前へ遅く戻るがゆえに、 迅く、押し黙ったまま、宵の明星をかすめて過ぎ、 盲いたように土星の黄金の環を横切り、 大気の境界を飛び越えて、瞬く間に姿を消した。

神はその飛翔を感じ取り、その急ぎを察せられた。 天使がいかにその物音を抑えようとしていても。 そして神は父のごとき微笑みをたたえて迎えに出られた。 天使が従順な面持ちで 御門の象牙の階に降り立とうとしていたとき。

.........................................

神はその天使を愛でておられた、主は善き御方ゆえに。 その御前で天使は頬を染め、はにかみを覚えていた。 主は怒りとは無縁の様子を示しておられたが、 天使は生まれて初めて戸惑いを覚えていた。

神の御霊の御前にあってなお天使は戸惑ったままであった。 そこに神を感じながらも、神の御姿は見えなかったから。 慈悲深き神は、天使を御自身のうちに、そしてともに置かれ、 かくして声もなく、二人だけで語り合われた。 ――あの緑のものは何であったか? ――ムルシアです。 ――なぜそれほど遅くなったのか? ――時と、そこでの使命を忘れてしまったからです。 ――では、そこには何があるのか? ――もう一つの栄光です。 ――そのようなものか? ――魅惑そのものです! ――ならば見たことを話すがよい。 ――それが…… ――何だ? ――何も見ませんでした。 ――一日かけて何も見なかったと? ――御身の使者としてそれを申し上げる 道理はありません。何も見ませんでした、主よ。 春めいた気候と、美しい 国であることには気づきましたが、その境界の外へは出ませんでした。 ――なぜだ? ――最初の谷あいの 入り口で、 ほっそりとした 優しい菜園の娘に出会い、 そこで彼女とたわいもない 語らいをしているうちに、 一つの星が輝くのを見て…… それで戻って参りました。 ――その田舎娘はそれほど美しかったのか? ――美しくはあります。しかし驚異というほどではありません。 ――何がお前を魅了したのか? ――その声音と、 彼女が語るのを聞いたことです。 ――何を語っていたのか? ――花のことや、 村里の物語や、 田舎の仕事のことです。 けれどもあまりに巧みに語るので、 その珍しい物語を、 いつまでも聞いていたいほどでした。 けれども日が暮れかけていたので…… 私はエデンへ戻って参りました。 ――だが、その物語や その言葉は、 それほどまでに人を聞き惚れさせ、 地上にいながらにして 天上の者たちをも 魅了するほどのものなのか? ――いかなるフーリーも、 あれほど見事に物語れたことはありません。

その声は魔法のような 調和をなす一つの音楽であり、 その物語は東方の精神を宿す 一篇の詩である。 その一つ一つの物語の筋は、 この上ない完成度と 独創の趣をたたえた 一篇の詩なのだ。

彼女が物語るその声には、 銀の震えと 水晶の音色の 響きが刻まれている。 その物憂く、 不思議な詠唱のリズムは、 比類なき魅惑の 調和を内に秘めている。

あちらでは彼女を 花のスルタナと呼ぶこともできよう。 ここでは、フーリーたちが 彼女を姉妹と呼ぶだろう。 異教の徒であれば 彼女をフローラと見なし、 夜は彼女を曙と、 蜂鳥たちは彼女を花と見なすだろう。

...........................

天使の詩情あふれる描写を聞きながら、 アッラーはしばし我を忘れて物思いに沈まれた。 そしてやがて天使に仰せられた。 ――その生き物について お前が語ることを証してみせよ。彼女がお前に語ったことを言うがよい。

そして天使は、直感の恵みによって 生ける言葉さながらに おのが思いを神へと伝えつつ、 記憶にとどめた地上の言の葉を、 おのが天上の言語の 韻律へと移し替え、 真珠を連ねるように 一つまた一つと繋ぎ合わせ、 それらを神へと送り届けていった。 音もなく波打つ 生命の流れの中に、 そして二人が同時に 生み出し、吸い込む 一つの香りの霞の中に。

III

花々の詩

地上の人間への贈り物として、アッラーはこの四つのものを創り給うた。花と、香りと、馬と、女性である。――コーラン

「冬が花々を 追いやり、大地の 母なる懐にそれらが眠るとき、 花々は大地が神のために 内に秘める香の種となる。

四月に、太陽と雨と そよ風に向けて 小さな花びらを開く野の花々は、 山々と茂みの まなざしであり、微笑みである。

春の瑞々しい季節に 黄と金と紅で 森を覆う花々は、 野が身にまとう 晴れ着なのだ。

満開のときに 比類なき美をもたらす花々は、 自然が創造主に捧げる 最初の 供物なのだ。

神も民も花を愛でる。 神はそれを祭壇に置き、 民にとっては花こそが その祭りにおける 最良の飾りであり、粋である。

すべての人間は、 悲しみのときも喜びのときも 花を愛おしんで受け入れる。 子供はそれを墓へ運び、 女たちは夜会へと運ぶ。

昼の光の愛人であり、 鳥たちの喜びであり、 果樹園のマントであり宝石である花々は、 大気にその甘露を与え、 蜜蜂にその蜜を与える。

花は愛の言葉であり、 婚礼の使者であり、 結婚の証であり、 感謝の捧げ物であり、 栄光への賛辞である。

花を好まぬ者は、 いったい何を望むというのか。 その色を愛でず、 その香りに恍惚となることもない者の 心のうちには、何があるというのか。」

............................

天使は語り終えて、 主の御裁きを待った。 エデンの空中庭園には 束の間の反響も、物音もなく、 神と天使をめぐるすべては 凝然と、口を閉ざしたまま、 無言の期待のうちに とどまっていた。

唯一にして全能なる 神の御意志は、 言葉の形をもっても、 声をもっても表されなかった。 その秘められた御意志を 天使に伝えられると、 創造のすべてが 神とともにそれを悟り、我を忘れた。

.............................

「かくも忠実な信奉者にして、 かくも真心のこもった信仰を我に抱く 優しき花の育て手、 かくも繊細な才を持ち、 仕事にかくも巧みで、 物語りにかくも長けたその生き物は、 あそこには ふさわしくない者である。

魂の生は 卑しき地上にはない。 信心深く清らかなアルメは、 ここに住まうにふさわしい。 すべてがおのが本来の場にあれかし。 花は空中庭園に、 星は虚空に、 そしてフーリーはエデンにあれかし。」

神の御意志が 思し召されるやいなや、 天使は二度目に その翼を広げた。

IV

夜は静かで、月はすでに沈もうとし、 ムルシアの菜園ではすべてが平和に憩っていた。 さすらう風のひとすじも木の葉を揺らさず、 どんなにかすかな音も、束の間の反響すら呼び起こさなかった。

その住まいで、悩みも憂いもなく、 天使が出会った菜園の娘は憩っていた。 両親はいない。死者たちだけが彼女を独り残していった。 彼女は花々のあいだで育った。太陽にまだ温められぬ 蕾の中の、閉じたままの薔薇の莟のように。

ダマスカスの生まれである彼女の一族の老人は、 八十年を学びと見聞に費やし、 キリスト教徒とアラブ人の双方から善き人と見なされ、 アラブ人が知りうる限りの知恵を備えていた。

その老人は幼い彼女を養い、深く愛おしんだ。 幼年と老年とはこのように両極にありながら、 触れ合い、結び合わさるものであり、 幼き者は老いた者と同じ足跡を、素直に辿って歩んでいった。

幼い彼女を眠らせるために老人が語った物語、 その魂に蒔かれた美徳の種、 老人が教え込んだ草木の知識…… 鳥と花への生まれながらの愛着、 その魂に植えつけられた信仰と詩情、

それらすべてが、あの少女を地上の天使に変え、 やがて娘となった彼女を巧みな園芸家に変えた。 彼女は山野を歩みながら花師となり、鳥博士となった。 ムルシアが内に抱くすべての憧れと魅惑となり、 二人は一つの魂をもって一つの存在となった。

哀れなキリスト教徒の捕虜たちは彼女をマリアと呼び、 アラブ人たちはミリアムと呼んだ。 賢い老人はムライマと、老人たちはガセーラ(かもしか)と呼び、 民と菜園の人々は花のスルタナと呼び、 太守アブー・アル=カイシーは、おのが庭園のフーリーと呼んだ。

人々の喜びであったその娘は、 シルフのように軽やかで、理想のフーリーのように、 魅惑的なアルメのように、無垢な山鳩のように、 清らかな乙女の眠りに身をゆだねていた。

眠りながらも夢を見ていた。幻想的で心地よく、 ふつうの夢よりも鮮明で確かなその夢は、 夢というよりむしろ幻視であり、 幻想的でありながら同時に現実の出来事でもあった。

夢の中で彼女は、曙のかすかな光の中に、 おのが露台の下で歌う一人の精霊を見た。 その響き渡る歌の旋律も言の葉も 聞き取り、理解し、聞き、見ているのを感じていた。

夢の中で彼女は、ある者の姿と声と言葉、 そして一つの歌を見て聞いていた。 その者とは、彼女が茂みの中で出会った若者であり、 その歌は、いまだかつて聞いたことのない調べであった。

彼女の夢は、天上の悦びを味わう神秘の喜びであり、 霊なる愛の恍惚、忘我の境であった。 その清らかな悦びには、肉の感覚のかけらすら 芽生えることも、現れることもなかった。

その幻視、その旋律、その歌の 言葉に宿る想いは、彼女にかくも神秘な悦びを注ぎ込んだ。 それはあたかも、彼女の魂が肉体を離れて漂い、 別の存在へと移ろうときに感じるであろう悦びのようであった。

その催眠のごとき夢の暗示だけが、 見ることと聞くことの悦びに彼女をつなぎとめていた。 その夢の中で揺られながら―― 穏やかな波にカモメや海鳥たちが揺られるように。

かくも親密で、未知なる、心地よい悦びのうちに、 おのれを忘れ、おのれの内へと凝り集められて、 彼女は夢とセレナーデの暗示を受け取っていた。 その韻を踏んだ詩節は、おおよそこのように語っていた。

なぜなら、人の言葉に置き換えてここにお伝えしようとするなど、 私にとって無謀な企てとなろうから。 ここでの私の才は、力及ばぬまま、この伝承を 不完全に、なしうる限りに語るのみ。 アラブの語り部が伝えるこの神々しい物語の、 もっとも筋の通った要旨と、もっとも広く解き明かせるものを、 私に捉えうる限りにおいて、皆様にお伝えするしかない。

V

セレナーデ

慈しみ深き者よ、汝は 生まれし者のわざによって 宿されたのでも、生まれたのでもないように見える。 汝が地上にあるのは、汝自身のうちに秘められた 一つの神秘のゆえである。

天より逃れ出るとき、 「われは人々の喜びとならん」と言った 白きフーリーよ、 その飛翔を翻し、舞い上がり、私とともに天へ帰るがよい。

地上にふさわしからぬ宿を得た天上の者よ、 汝はこの地の誰と番いたいというのか。 どのようにして この地の男たちや女たちと共に住まいたいというのか。

この半球のいずこに、 汝を養い、憩わせるものを見出せようか。 いかなる住まい、 いかなる衣、いかなる調度、いかなる器を。

光に浴し、 アンブロシアと蜜酒を糧とし、 詩と琥珀の香りを放ち、 天使の翼を広げることのできる汝よ。

五月が白百合をもって汝を形づくったゆえに白く、 太陽の光が汝を金色に染めるゆえに金髪の、 大天使とともにあって気高く美しく、 星のように清らかな汝よ。

太陽はその光の照り返しを汝の瞳に与え、 月は汝の顔にとって鏡となり、 汝が露台に姿を現すとき、 鳩たちは汝に向けて鳴き交わす。

地上に汝の姿を見んとして花々は開き、 神は天の物見の窓を開かれる。 そして汝の姉妹である フーリーたちは、鎧戸の陰から汝に口づけを送る。

神が地上に楽園の何かを 見せんと望まれたがゆえに天を逃れ出たフーリーよ、 その翼を再び広げるか、 さもなくば私の翼に乗って天へと帰るがよい。

...........................................

神秘なる夢の恍惚とした忘我のうちに、 我を忘れ、心奪われながら、彼女は 名も知れぬ、抗いがたい力が おのれの主となり、その本来の存在を 別のものへと変えていくのを感じていた。

そのセレナーデの最後の言葉のうちに、 ミリアムは抗いがたい命令を受け取った。 そして彼女を奪い去る名も知れぬ力の勢いに、 蒼い大気の虚空を飛んでいるのだと彼女は信じた。

飛んでいると夢見ながら、 彼女は自らが 横切っていくその虚空の領域へと 放たれていくのを感じていた。 飛んでいると夢見て、 エデンへと昇っていくのだと…… そしてそれは真実であった。天使が すでに彼女を運び去っていたのだ。

VI

至高天の高みに至ったとき、 天使はミリアムを神の御前に置いた。 神は彼女を見つめられた。すると、恐れも恥じらいもなく、 神が自分を見定めておられるのを、彼女は我を忘れて感じた。

神は、彼女の清らかな魂が汚れなく澄み渡り、 その内にアダムの酵母が発酵していないのを見て取られた。 そして天の館に彼女の場所を定められ、 連れ去っていったあの天使の場所に代えて、 エデンの幸いなる御門に彼女を留め置かれた。

人の子であった彼女は神なる存在へと変じ、 その肉なる質は物質を離れた。 そして楽園へと至った幸いなる菜園の娘は、 その門を守る者として、その空中庭園にとどまった。

...............................................

そして今日、フェスやトレムセンをさすらう ムルシア出身の部族や一族の中には、 おのが魂にエデンの門を開くのは 天使ではなく、あのムルシアのフーリーであると 信じる者たちがいる。

「ムルシアから天国へ」、ホセ・ソリーリャ、マドリード、1888年5月

パブリックドメインのテキストで、Wikisourceのデジタル版から書き起こされています。

← ギフトに戻る

Logo de Casa TOVI

Casa TOVI · Murcia

María Paz、Rodrigo、Lourdesが心を込めて作りました。